草食系鉄人のす・す・め
函館トライアスロンクラブ所属MAEちゃんがトレーニング、大会レポートや日頃感じたことを掲載します
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【被災地からの便り】3/21
患者さん全員の移送が終了したようです。
とりあえず、安心しました。しかし、その後も飯塚さん他、被災者の方々の戦いは続きます。
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おかげ様で、本日残りのすべての患者さんを搬送していただきました。
搬送や院内の片づけを終え、最後まで残った職員30数名(総職員は198名)と、協力して下さったボランティアさんを集め、解散式を行いました。
院長の言葉に涙する職員もいましたが、これからの現実を考えるとほんとうの戦いはこれからだという気持ちになります。
市内には閉院を決めた病院もあり、当法人も、所有する老人介護施設は津波で全壊。入所者様や、職員にも犠牲者を出してしまいました。
はたして今までと同じように働くことができるのか、移送した患者さんはどうなっているのか、ちょっとホッとして現実を考えると、ゴールはますます遠のいたように思えます。
きょうの午後、いつも患者さんを紹介してくれる県境の町で開業している後輩が、食料や不足する薬をもって駆けつけてくれました。彼の診療所も被害を被っているのに・・ ありがたいことです。
今回多くの方に助けていただき、なんとか前代未聞の難局をひとまず乗り切る事が出来ました。ほんとうにありがとうございました。
放射能のことを皆さんとても心配してくださいますが、化学的知識があればなんら心配には及ばないことをご理解下さい。冷静に対処し、風評に踊らされないことが大切だと思います。
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110321t73060.htm
きょうは後輩のおかげで、久しぶりにレトルトではないご飯と味噌汁をいただきました。
贅沢を言わせていただければ、『これで納豆があればな・・』といったところです。
海外レースにも納豆ふりかけを持参するほどの納豆好きの私には、放射能による影響より納豆切れによる影響のほうが深刻です。
避難所生活の方々には、たいへん失礼な話ですが・・
実は、家内の実家(岩手県岩泉町小本)の家族も津波で家を失って、避難所生活をしております。
ガソリンも手に入らず、交通手段もないので、駆けつけることもできず、もどかしさを感じています。
そんな方々がまだまだ沢山いることを忘れないで下さい。
またレースで皆様に元気な姿を見せられるよう、日々精進していくつもりです。
またお会いできる日を楽しみにしております。
ありがとうございました。
飯塚
【被災地からの便り】3/19
飯塚さんの大町病院でも患者の移送が始まったそうです。
無事全員が移送されますよう祈ってます。
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きょうは70人が群馬県の病院に転院しました。
副院長と二人のナースが同行しました。
帰れる方は全員帰ったあと、残った患者さんですから状態が悪い方ばかり。移動途中の急変が心配です。
まだ70人が残っていますから、まだまだ終わりは見えません。
残りの患者さんの移送には私が付き添うつもりです。
残った患者さんは、状態がより悪い方ばかりですので長距離の移動に耐えられるかとても心配です。
きょう、地震後はじめて給油のために町に出ました。
6号国道の所まで船が流れ着いている現状を目の当たりにし、津波の恐ろしさを実感しました。
最後の患者さんを無事に送り届けるまで、ベストを尽くすつもりです。
原発の最前線で戦っているファイヤーファイターにも大切な家族がいるはずです。私などよりずっと厳しい状況でも頑張っているのです。
こんなところで逃げ出したら、一生後悔します。
温かいお言葉に感謝いたします。とても元気づけられております。
飯塚
【被災地からの便り】3/16-2
今日は2回目の便りです
ご本人は元気そうです
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だいぶこの町から人がいなくなりました。
私の病院の職員も、かなりの人が避難しました。
きょうから外来診療は閉鎖です。
20~30㎞の室内退避圏内にある我が病院は、職員が避難するか、残って仕事を続けるかは個人の判断です。
本人は仕事を続ける意思があっても、家族や親戚の進言で泣く泣く職場を離れた人もいます。
もちろん避難指示の出ている20km圏内に住んでいる職員は避難したため出てきません。
しかし、この病院には150人の患者さんが入院しています。
スタッフが足りなくて、夜勤帯に50人の患者さんをひとりのナースで診ている部署もあります。
明日からは、一日2食しか出せなくなりました。経腸栄養剤も明日から2倍に薄めて流すことになりそうです。
ガソリンがないため(スタンドには貯蔵があるのかも知れませんが、社員が避難している)
通勤できなくなった職員が出てきました。
血液透析はスタッフ不足で出来なくなり、20人は他院に転院させざるを得なくなりました。
空調(暖房)は停めているためとても寒いです。
原発はご覧のとおり、収束の見込みがありません。
このレース、まだまだゴールが見えません。
私自身は、いたって元気。外でトレーニングできないのでストレスがたまりますが、ローラーをやる気にはさすがになれません。
津波ですべてを流されたトライアスロン仲間が、避難所で元気にしているとメールくれたのが唯一の救いです。
また寒さがぶり返してきました。皆さまも御自愛ください。
飯塚
【被災地からの便り】3/16
飯塚さんからお便りが来ました。
福島県は津波被害の他に、原発放射能拡大の被害が拍車をかけています。
病院の事情も、必要な医薬品等が足りなくなってきたとか、スタッフ不足が深刻になってきつつあります。
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昨日、放射能の拡大を受け、ここ南相馬市も避難、および屋内退避地区に指定されました。多くの市民が圏外に避難したようで、町はゴーストタウンのようになっています。
ただし、避難に際し、行政からの避難場所の指定や提供、移動のサポートは一切なく、それぞれ個人での対応というのが現状です。
私は、個人病院(198床)の勤務医(整形外科医)ですので、病院に動けないままの患者様を残して避難することはできず、仕事を続けています。
実家が福島市ですので、家内だけでも避難させたいところですが、「ひとりでいる方が不安だ」と言って、家内は今も家に留まっています。
病院の医薬品を初め、いろいろな物が底をつきはじめました。
補充が一切ないため、備蓄品だけではもう限界です。ガソリンもないため、同僚たちの通勤にも支障が出てきました。
職員の中には家族と共に避難した者もおり、通常の勤務シフトを組むことは不可能で、夜勤のナースなどのパラメディカルスタッフのやり繰りも限界です。
乗りあいで通勤したり、工夫はしていますが終わりが見えないので不安ばかりが募ります。
我が家の備蓄食料もいつまで持つか心配が出てきました。当然スーパーやコンビニは閉店しており、入手ルートがありません。
家のライフラインが正常なのが唯一の安心材料です。
なお、いろいろな面に関して、要請はしていますが市や県、国からのサポートはほとんどありません。
ガソリンがどこにもありません。ガソリンがなければ、避難もできません。
いよいよとなれば、我が家ならば自転車で遠くまで逃げる事はできますが、放射能の中を逃げるにはリスクが高すぎます。
余震も収まり、復興に向けて動き始めたいところですが、原発の問題で事態が悪化していること、終わりがまったく見えないことがとても不安です。
いつまでこの町に居るかわかりませんが、出来る限り情報を発信します。
皆さんは、是非ご自分の仕事や取り組みに全力をあげてください。
それが被災した人たちへの支援につながると信じています。普通の生活ができることの
幸せを再確認しながら・・・
飯塚
【被災地からの便り】3/15
飯塚さんから2回目の便りがきました。
被災地の状況を送っていただけることになりましたので、皆さんにこのブログで被災地で頑張っているアスリート仲間のメッセージをお伝えします。
あちこちで、義援金のコーナーが設置されたり、ネットでも開設されています。
今できることは被災地に義援金を送ること。他にも節電、車両の燃料節減等々。(北電は本州方面への電力融通を始めました)
飯塚さんへの励ましのメッセージもお願いします。
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件名:飯塚です。ありがとうございます。
前田さん、暖かいお言葉ありがとうございます。
余震も収まりつつあり、津波警報も解除されたのに今度は東電の放射能の心配です。
避難している人も多いですが、病院の患者さんを残して逃げるわけにはいきませんので、職員一同、頑張っています。
カミさんの実家(岩手県岩泉町小本)は津波で壊滅しましたが、家族は幸い無事でした。
やっと昨日連絡が取れ、一安心です。
職場の薬剤や、医療材料などの物資も底が見えてきました。
市内にはガソリンもなく、職員の通勤にも支障が出てきました。
スーパーにも物がなく、今後の食材の調達など、不安が出てきました。
職場と我が家は水道、電気が来ているので、まだ環境はいい方です。
これからが本当に大変だというのが実感です。
暖かいお言葉にとても励まされます。
ありがとうございます。
飯塚
被災地からの知らせ
2年前、ハワイのハーフアイアンマンに知り合ったご夫婦Iさんなんですが、ハワイ出発時にみんなで記念写真を写し、送付先を確認するのに名刺を頂きました。その後、昨年のセントレア70.3でも偶然お会いしました。
昨日、そういえばIさんも福島県だったのに気がつき、頂いた名刺の住所を確認したら「福島県南相馬市」被災地域。
住所をGoogleマップで検索したら、被災地の海岸からあまり離れていないのでいやな予感がして、一応安否確認メールを出しました。
会社でも念のため171伝言ダイヤルで確認したけど、何も伝言は入っていなくて絶望的な気持ちになっていました。
今日、夜8時頃帰宅してからメールを開いたら、何件もあるメールの中に「Re: 生きています。」の件名が・・
・。そして差出人にはIさんのアドレス。
思わず涙がこみ上げてきました、本当に良かったです、安心しました。
Iさんは南相馬市の病院の医師です。現在、野戦病院と化した病院中で、不眠不休で被災者の治療に当たっているそうです。
以下Iさんのメールです。
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件名:「生きています。」
前田 様
暖かいお言葉ありがとうございます。
何とか無事でおります。メールできる環境にやっと復帰しました。
電話もぜんぜんダメでした。いつも便利に使っている、携帯、ネット、2日間は何の役にも立ちませんでした。
函館にも津波が行ったようですが、大丈夫でしょうか。
こちらの市内は甚大な被害で、ここから2kmのところまで津波が来ています。
生きているだけで良かったと思えるほどのひどい被害です。
勤務先の病院はほとんど野戦病院と化し、劣悪な条件の中で
休みなく働いています。当病院経営のの老人保健施設が津波に飲まれ
職員も含めて多数の方が亡くなりました。
復興までどのくらいかかるか、今は予想もつきませんが
頑張って行きます。6月のHAWAIIにエントリーしていましたが、無理かも知れません。
またお会いする日を楽しみにしております。
Tさんにもよろしくお伝えください。
御心配ありがとうございました。